煙草と読書「煙読」
「読み方」を広げる読書術実験区、〇読。
もっと自由な読書法を実験する企画です。
今回は、「タバコ」×「読書」で「煙読」です。
タバコと読書は、文化的に切っても切れない関係にあるような気がします。
漱石や芥川、太宰まで、愛煙家として知られる作家は多くいます。
今回のマルドクでは、昭和の文豪が紫煙をくゆらせながらペンを取るような、エモーショナルな風情に浸ってする読書について探ります。

外で腰を下ろして、ゆったりとタバコを吸える環境は、それだけでかなり重宝します。
古くは明治時代、知識人の社交場として「ミルクホール」というものがあったそう。コーヒーの普及につれ、それらが喫茶店に取って代わられていったとのことです。
日本初めての喫茶店は、上野の「可否茶館」というお店らしい。
当初は知識交換の場所としての「コーヒーハウス」を構想したとのことですが、日本ではあまり受け入れられなかったそう。
その後、徐々に喫茶店は、女給が接待をする場所として変化していきます。
女給の接待を目当てに来店する客が急増、店側もその需要に対応して変わっていきます。
客の中には著名な文豪も多かったらしい。
その後規制の対象となり、いろいろと変遷がありますが、「純喫茶」とは、酒類や女給のサービスを提供しない店としての定義が当時あったとのことです。
喫茶を取り巻き、知識やエロをないまぜに、魅力的なカルチャーが形成されてきました。
本書、「タバコ天国 素晴らしき不健康ライフ」では、昭和の愛煙家たちのタバコエピソードが軽快に綴られています。
その随筆が、どれも軽やかで、可愛らしく、格好いい。
文豪をはじめ、映画監督や俳優、写真家まで、文化人たちのタバコ愛が語られます。
彼らがどのようにタバコと交際してきたか、どのようにタバコを吸ったか、軽やかに、愛らしく描いています。
著者・矢崎氏の素晴らしき不健康ライフは、戦後の焼け跡、闇市で、進駐軍らのシケモクを拾うところから始まります。
当時の愛煙家たちは、いくら貧しいからといって、喫煙を屈することは決してしませんでした。
江戸の煙管文化から始まり、文明開花のシガレットブームに続き、現代までのタバコの歴史も語られます。
タバコと文化は切っても切り離せない。
貧しいからといって、体が悪いからといって、タバコを止めるのは言語道断。
禁煙とは、文化を切り捨てることとほぼ同義であるかのような印象です。
オーストラリア・メルボルンの「岩城宏之メモリアルホール」が落成した時のエピソードが、とても面白かったです。
著名人や政府高官が揃う式典時、ホールの「全館禁煙」のプレートを見た岩城は即帰国。
式典開始直前のことだったそう。
帰られた側からすればたまったものではないけれど、喫煙においてこれだけの強硬姿勢を示せる人は、なかなかいない。
疎まれるからといってコソコソタバコを吸っていては格好がつきません。
これぞ昭和の男の生き様であって、見習わなければなりません!


タバコと本というと、松岡正剛が煙草を吸いながら本を読んでいる動画をどこかで観たことがあります。
今探してもどうも見つからないのですが、観た当時はその格好よさに震えました。
やはり、文化人にはヘビースモーカーが多い。
そして格好いい。
「無駄に見えるものをどれくらい許容できるかが、文化というものでしょう。」と、池波正太郎はかつて言ったそう。
文化を肺いっぱいに吸い込むつもりで、読書をしてみよう。

一)注文をして、到着を待つ。
さして期待することもなく、平静な心持ちでコーヒーの到着を待とう。
この間にタバコを吸うのは、少し無作法な気がする。
かといってやることもないので、今日読む本の準備をするべきかもしれない。
以前読みさした部分から遡って、文脈を掴み直してみる。

二)コーヒー到着。火をつけるにはまだ早い。
駅から少し歩いたからといって、すぐに吸い始めてしまっては、これも少しみっともない。
コーヒーを運ぶ店員さんに会釈をして、吸いたい気持ちを隠さないといけない。
ちょっとだけ読み進めてから、一口だけコーヒーを啜る。これもまだ熱いから、焦ってはいけない。
焦ってしまうと、慣れていないように見える。
三)もう少し我慢、少し読み進める。
もう少しだけ我慢する。一、二ページ読み進めよう。
無論、タバコが吸いたくて仕方がないのだから、内容なんて右から左。ほぼ何も頭は回ってない。

四)ヨシ!
本を逆さに置いたら、おもむろに、思い出したかのようにタバコを取り出す。
気だるそうに一本取り出し、ゆっくりと火をつけます。
待ちに待った一服です。
ひと吸い目は肺いっぱいに、ここぞとばかりに吸ってやる。
ふた吸い目も同様。ゆっくりと、大きく肺を膨らませる。
本に戻る時はスムーズに、「こっちが本領だぞ」という感じで本をとる。


五)読んでる最中はどうする?
まず、タバコを待っている時間に読んだ部分なんて、タールの衝撃により忘却の彼方なので、読み直さないといけません。
片手で読めるタイプの本であればいいけれど、ハードカバーの開きにくい本だと、吸いながらの場合少し困ります。
僕の場合、斜線を書き込んで読まないと目が滑ってしまうから、右手には鉛筆を持ちます。
タバコの居処は、左手か、灰皿か、もしくは咥えるかの3択です。
大体結局居処が定まらないまま、火元がうろつく事態になります。
咥えタバコが上手ければいいのですが、これにはテクニックと年月を要します。トライするけど諦める。
結局左手と灰皿と口元をうろうろして、燃え尽きる悲しい定めです。

六)そうこうしてるうちに、板についてくる
大体、本・コーヒー・タバコの連携が板についてきて、動作が定まってくる。
その間にこちらはフローに入って、集中できるようになります。
ここで問題になるのが、机の狭さです。
喫茶店の机はなんだかわからないけれど、コーヒーと本と灰皿を置いてしまうとパンパンになってしまいます。
こいつらの領土争いの火蓋が切られるわけです。
適宜せわしく配置換えするけれど、どうにも定まらない。
友人と二人で来た時は余計に難しいんです。
そんなこんなで読み進めていきます。

タバコとは、自由の象徴であるかのように感じます。
愛煙家はことごとく、国からも他人からも疎まれます。
それでもタバコを取り上げられまいとするのは、少し頑固にも思えますが、この本に出てくる愛煙家たちはみんな、心優しく礼儀正しいのです。
吸い方が無作法であれば、愛煙家とは言い難い。
生き方を含めた愛煙家なのです。
心優しく、礼儀正しく、それでいてどこかウィットの効いた、そういう姿勢を愛煙家と呼びたい。
タバコとは「無駄」の象徴である。
これも認めます。しかし、その「無駄」こそが文化の本質。
本も映画も写真も音楽も、突き詰めれば全て「無駄」に関わるものでしょう。
それらがまるっきりなくなってしまった時に、私たちは何のために生きればいいのだろうか。
思うにタバコとは、無駄であり、必要であり、無であり、全て。
一人で物思いに耽る道具にもなれば、みんなで談笑をする道具にもなります。
吸い方も十人十色、タバコと一言に言っても、その人が何を想起するか、それぞれのエピソードがあります。
タバコを吸いながら本を読んだ時、あなたはどんなことを考えるのでしょうか。
昭和の煙草のみ達に敬意を払いながら、彼らと紫煙を重ねてする読書は、何とも言い難い感慨と、故郷に帰ったかのような安堵がありました。
心なしか、いつもより自由な読書ができた気がする。
まだまだ、煙草のみと呼ばれるには程遠いですが、彼らが煙を通してみる景色はどんなに美しかっただろうかと思いを馳せ、死に際までタバコを手放さない生き方を追って、しぶとく生き抜く気概に指を震わせ、ページをめくります。
気が向いたら、煙読、試してみてください。

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